森林、土地、生物多様性:SDGs目標15達成に向けた国際潮流と日本企業の戦略
はじめに:SDGs目標15の重要性と企業の役割
SDGs目標15「陸の豊かさも守ろう」は、森林、乾燥地、山地、湿地といった陸上生態系の持続可能な利用、劣化からの回復、そして生物多様性の損失停止を目指すものです。この目標は、気候変動対策(目標13)、安全な水へのアクセス(目標6)、食料安全保障(目標2)、健康(目標3)など、他の多くのSDGs目標達成のための基盤となります。森林破壊や土地劣化、生物多様性の喪失は、地球システム全体に深刻な影響を及ぼし、企業のサプライチェーンや事業活動にも直接的・間接的なリスクをもたらします。
近年、国際社会では陸上生態系保全・回復の重要性に対する認識が急速に高まっています。特に、ビジネスセクターにおける陸上生態系および生物多様性への影響と依存に関する評価・情報開示の要請が強まっており、企業のSDGs推進担当者にとって、目標15は無視できない経営課題となりつつあります。本稿では、この分野の国際的な最新動向と日本の現状、そして日本企業が取るべき戦略について詳細に解説します。
陸上生態系保全・回復に関する世界の潮流
世界の陸上生態系は危機的な状況に直面しています。国連食糧農業機関(FAO)によれば、世界の森林面積は減少傾向にあり、年間約1,000万ヘクタールの森林が失われています。また、IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)の報告書は、人為的な要因により、推定800万種の生物種のうち100万種が絶滅の危機にあると警告しています。
こうした状況に対し、国際社会は具体的な目標設定と規制強化の動きを進めています。
1. 生物多様性に関する国際枠組み
2022年に採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」(GBF)は、2030年までに生物多様性の損失を止め反転させ、2050年までに自然と共生する世界を実現することを目指しています。GBFの目標(ターゲット)のうち、特にターゲット15では、大企業及び金融機関に対し、事業活動、バリューチェーン、ポートフォリオが生物多様性に与えるリスク、依存、影響を定期的に評価・開示することを求めており、企業の取り組みが不可欠とされています。
2. 土地劣化ゼロ目標(Land Degradation Neutrality: LDN)
国連砂漠化対処条約(UNCCD)の下では、土地劣化ゼロ(LDN)を目指す取り組みが進められています。これは、ある期間において土地資源の量が減少しないように、新たに劣化する土地の面積を、劣化した土地を回復する面積によって相殺することを目指すものです。多くの国がLDN目標を設定しており、農業や林業、インフラ開発など、土地利用に関わる企業の責任ある行動が強く求められています。
3. サプライチェーンにおける規制動向
欧州連合(EU)では、森林破壊や森林劣化に関連する特定の一次産品(大豆、牛肉、パーム油、木材、ココア、コーヒーなど)およびそれらから生産された製品のEU市場への上市を規制する「EU森林破壊防止規則(EUDR)」が採択されました。これは、対象製品が森林破壊や森林劣化を引き起こす土地で生産されていないことを証明するデューデリジェンスを企業に義務付けるもので、サプライチェーン全体における透明性とトレーサビリティの確保が不可欠となります。同様の動きは他の地域でも検討されており、グローバルに事業を展開する企業にとって重要なリスク要因となっています。
4. 資金・投資分野の動き
自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)の提言が最終化され、企業や金融機関に対して、自然関連のリスクと機会に関する情報開示を推奨しています。これは、気候関連のTCFDと同様に、企業の経営戦略や財務状況への自然資本の影響を「見える化」し、投資家や金融機関の意思決定に反映させることを目的としています。また、自然資本への影響を考慮した投資原則やグリーンボンドの枠組みなども進化しており、資金調達や投資判断における陸上生態系への配慮の重要性が高まっています。
日本の現状と企業が直面する課題
日本の国土の約7割は森林であり、里地里山など多様な陸上生態系が存在します。国内では、森林経営の課題(高齢化、担い手不足)、耕作放棄地の増加、外来種問題などが指摘されており、陸上生態系の維持・回復には様々な課題があります。日本政府は「生物多様性国家戦略」を策定するなど、国内の取り組みを進めていますが、グローバルな視点で見ると、特に海外サプライチェーンを通じた陸上生態系への影響管理が日本企業にとって大きな課題となっています。
日本企業が直面する主な課題は以下の通りです。
- サプライチェーンのリスク評価・管理の困難性: 海外からの原材料調達が多い企業では、調達元での森林破壊や土地劣化、生物多様性への影響を特定し、管理することが技術的、地理的に困難な場合があります。特に複雑なサプライチェーンを持つ企業にとっては、トレーサビリティの確保が大きなハードルとなります。
- 国際的な規制・基準への対応: EUDRのような域外適用される規制への対応は、データ収集体制の構築やデューデリジェンスプロセスの導入など、新たな負担を生じさせます。また、TNFDのような新たな情報開示フレームワークへの対応も急務となっています。
- 情報開示と目標設定: GBFターゲット15やTNFDが求める情報開示レベルに達している日本企業はまだ少ないのが現状です。自社の影響を正確に評価し、科学的根拠に基づいた目標(例:Science Based Targets for Nature)を設定・公表する能力の向上が必要です。
- 国内事業における貢献: 国内の森林や里地里山の保全・回復への貢献は、地域社会との関係構築や従業員のエンゲージメント向上にもつながりますが、具体的な貢献方法や効果測定が課題となる場合があります。
- 資金調達・投資における影響: 自然関連リスクや機会に関する情報開示が進まない場合、投資家からの評価が低下したり、サステナブルファイナンスへのアクセスが制限されたりする可能性があります。
日本企業が取るべき戦略・アプローチ
陸上生態系保全・回復は、単なるリスク対応ではなく、持続可能な企業価値創造のための重要な機会でもあります。日本企業は、以下の戦略的なアプローチを検討すべきです。
1. サプライチェーンにおける透明性向上とリスク管理の強化
- 影響評価とホットスポット特定: 自社の主要な原材料や製品のサプライチェーンを遡り、森林破壊、土地劣化、生物多様性損失のリスクが高い地域や調達元を特定します。衛星データや地理情報システム(GIS)などの技術活用も有効です。
- 調達方針の策定・実施: 森林破壊フリー、土地劣化フリーといった具体的な調達方針を策定し、サプライヤーとの連携を通じてその実施を推進します。認証制度(例:FSC認証、RSPO認証)の活用も有効な手段です。
- デューデリジェンス体制の構築: EUDRなどの規制要件を満たすため、適切なデューデリジェンスプロセスを構築し、調達製品の合法性や持続可能性に関する情報を収集・検証する体制を整備します。
2. 事業活動における自然資本への配慮とネイチャーポジティブへの貢献
- 国内事業での生態系保全: 自社の事業所敷地内や関連土地での緑地保全、地域固有の生物多様性の維持・回復に貢献します。水源涵養林の保全支援や里山保全活動への参加なども考えられます。
- 土地再生への投資: 土地劣化が進む地域での土地再生プロジェクトへの投資や技術支援を検討します。これは、将来的な原材料供給の安定化にもつながり得ます。
- 環境技術・サービスの開発: 生態系保全・回復に資する技術(例:リモートセンシング技術、バイオテクノロジー)やサービス(例:環境コンサルティング、認証サービス)の開発・提供は、新たなビジネス機会となります。
3. 情報開示と目標設定の推進
- TNFD提言への対応: TNFD提言に基づき、自社の自然関連リスクと機会を評価し、経営戦略との関連性、リスク管理プロセス、指標と目標に関する情報開示を段階的に進めます。PESTLEやLEAPアプローチといったTNFD推奨の評価手法を活用します。
- 科学的根拠に基づく目標設定: 生物多様性や生態系サービスに関する自社の影響・依存を定量的に評価し、Science Based Targets for Natureのようなフレームワークを参照しながら、具体的な保全・回復目標を設定します。
4. マルチステークホルダー連携の強化
政府、地方自治体、NGO、研究機関、地域コミュニティなど、様々なステークホルダーと連携し、より効果的な保全・回復活動に取り組みます。業界を超えたイニシアティブへの参加や共同プロジェクトの推進も重要です。
展望:陸上生態系への配慮がもたらす機会
陸上生態系への配慮は、リスク回避や規制対応に留まらず、企業に新たな機会をもたらします。
- ブランド価値向上と差別化: 生態系保全に積極的に取り組む姿勢は、消費者や投資家からの信頼を高め、企業イメージやブランド価値の向上につながります。
- レジリエンス強化: 健全な生態系は、洪水防止、水資源の安定供給、気候変動の緩和など、様々な生態系サービスを提供し、企業の事業継続性を高めます。
- イノベーションの促進: 持続可能な土地利用技術や生態系に配慮した製品開発は、新たな市場を創造する可能性があります。
- 資金調達の円滑化: 自然資本への配慮は、サステナブルファイナンスやインパクト投資へのアクセスを容易にし、資金調達コストの低減にもつながり得ます。
まとめ
SDGs目標15に代表される陸上生態系の保全・回復は、地球規模の喫緊の課題であり、企業の事業活動と密接に関わる重要なテーマです。EUDRのような国際的な規制強化、TNFDに代表される情報開示要請の高まりは、企業にとってサプライチェーン管理や自然資本への影響評価・開示が不可避であることを示しています。
日本企業は、これらの国際潮流を十分に理解し、リスク評価、サプライチェーン管理の強化、国内事業での貢献、そして情報開示と目標設定を戦略的に進める必要があります。陸上生態系への責任ある関与は、短期的なコストではなく、長期的な企業価値向上と持続可能な社会の実現に不可欠な投資であると言えます。企業のSDGs担当者には、この分野の最新動向を継続的に注視し、自社の事業との関連性を深く分析し、具体的な行動計画へと落とし込んでいくことが求められています。