ディープSDGs:世界の潮流と日本の現実

健康とウェルビーイング経営:SDGs目標3達成に向けた世界の潮流と日本企業の戦略

Tags: SDGs目標3, 健康経営, ウェルビーイング, 企業戦略, サステナビリティ経営

はじめに:健康とウェルビーイングが企業経営の不可欠な要素に

持続可能な開発目標(SDGs)の目標3「すべての人に健康と福祉を」は、「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」ことを掲げています。この目標は、単に疾病の予防や治療に留まらず、人々が身体的、精神的、社会的に良好な状態である「ウェルビーイング」の実現を目指すものです。近年、企業のサステナビリティ経営において、この健康とウェルビーイングへの貢献が単なる社会貢献活動ではなく、企業価値向上や競争力強化に不可欠な経営戦略として位置づけられるようになっています。

特に、新型コロナウイルスのパンデミック以降、従業員の心身の健康、働きがい、レジリエンスの重要性が再認識され、企業がウェルビーイングをどのように経営に取り込むかが問われています。本稿では、SDGs目標3達成に向けた健康とウェルビーイングに関する世界の潮流、それに対する日本の現状と課題、そして企業が取るべき戦略的なアプローチについて専門的な視点から解説します。

世界の潮流:ウェルビーイング経営の深化と指標化

グローバルな視点では、健康とウェルビーイングへの投資が企業の持続可能性と成長に直結するという認識が高まっています。世界の主要企業は、従業員の健康増進プログラムの拡充に加え、メンタルヘルスケア、柔軟な働き方支援、多様性の尊重といったウェルビーイング施策を経営戦略の中核に据え始めています。

例えば、世界経済フォーラム(WEF)は、ウェルビーイングを経済成長の新たな指標として議論しており、OECDはより良い暮らし指標(Better Life Index)で健康を重要な柱の一つとしています。投資家の間でも、企業のESG評価において、人的資本、特に従業員の健康や安全、エンゲージメントといった項目への関心が高まっています。グローバルなサステナビリティ開示基準においても、従業員の労働環境や安全衛生に関する情報開示が求められる傾向にあります。

また、企業は自社の事業活動が、サプライチェーン上の労働者の健康や、製品・サービスを利用する消費者の健康、そして事業を行う地域社会の健康にどのような影響を与えるかという視点も重視するようになっています。製薬、食品、テクノロジーといった業界では、自社の技術やサービスを通じて、低所得国の健康課題解決や公衆衛生の向上に貢献する取り組みも進められています。SDG 3に関連するグローバルな指標としては、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の進展、主要な非感染性疾患による早期死亡率の削減、メンタルヘルスの促進などが挙げられますが、これら目標に対する企業活動の影響をどのように測定し、開示するかが新たな課題となっています。

先進企業の中には、ウェルビーイングに関する具体的な目標を設定し、定期的にデータを収集・分析し、その成果を従業員や外部ステークホルダーに報告する体制を構築している事例も見られます。これは、単なる福利厚生ではなく、生産性向上、離職率低下、企業イメージ向上といったビジネス上のリターンを明確に意識した動きと言えます。

日本の現状と課題:健康経営の広がりと深化の必要性

日本においても、「健康経営」という概念が浸透し、企業の取り組みが進んでいます。これは、従業員の健康管理を経営的な視点から捉え、戦略的に実践することで、組織の活性化や生産性向上を目指すものです。経済産業省による健康経営優良法人認定制度は、企業の健康経営を促進する上で一定の役割を果たしています。

しかし、日本の現状にはいくつかの課題が存在します。第一に、労働者の長時間労働やストレスによるメンタルヘルスの問題は依然として深刻です。特に、コロナ禍を経て、リモートワークの普及に伴う働き方の変化が、新たな健康課題を生み出している側面もあります。第二に、健康経営の取り組みが、法定の健康診断や一般的な健康増進策に留まり、戦略的な投資や具体的な成果測定まで踏み込めていない企業も少なくありません。健康経営を企業文化として根付かせ、経営戦略と一体化させることの難しさがあります。第三に、グローバルなウェルビーイング経営の潮流と比較すると、日本企業の多くは「従業員の健康」に焦点が当たりがちであり、サプライチェーン、顧客、地域社会といったより広範なステークホルダーのウェルビーイングへの貢献という視点や、SDGs目標3の多様なターゲット(UHC、感染症、薬物乱用など)への直接的な貢献という視点が弱い傾向があります。

また、健康に関するデータ活用やプライバシー保護、労働組合との連携など、日本独自の課題も存在します。健康経営の「見える化」や効果測定、投資対効果(ROI)の評価も、今後の深化には不可欠です。

日本企業が取るべき戦略的なアプローチ

グローバルな潮流と日本の現状を踏まえ、日本企業がSDGs目標3達成に貢献しつつ、企業価値を向上させるためには、以下の戦略的なアプローチが有効と考えられます。

  1. ウェルビーイングを経営戦略の中核に位置づける: 健康経営を単なる人事・総務部門の施策とするのではなく、経営トップがコミットし、企業全体の戦略として位置づけます。人的資本投資としてのウェルビーイングの重要性を明確にし、経営目標や企業理念との整合性を図ります。
  2. 従業員ウェルビーイングの深化と多様化: 健康診断や運動促進だけでなく、メンタルヘルスケアの強化、柔軟な働き方の選択肢拡大、DEI(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)推進による心理的安全性の確保など、多様なニーズに応じた包括的なウェルビーイング施策を展開します。データに基づき、施策の効果を測定・改善するPDCAサイクルを確立します。
  3. バリューチェーン全体へのウェルビーイング視点の拡大: 自社従業員だけでなく、サプライヤーの労働環境、顧客の健康的な消費を促進する製品・サービス開発、事業所周辺地域の健康課題への貢献といった視点を取り入れます。これにより、SDGs目標3のターゲットに多角的に貢献することが可能になります。
  4. SDG 3の特定のターゲットへの直接的貢献: 自社の事業特性(例:食品、製薬、化学、ITなど)を活かし、栄養改善、医薬品アクセス向上、感染症対策技術の開発、健康情報提供サービスの展開など、SDG 3の具体的なターゲット達成に直接的に貢献するビジネス機会を追求します。
  5. 情報開示とコミュニケーションの強化: 健康経営やウェルビーイングへの取り組み、およびSDGs目標3への貢献状況について、統合報告書やサステナビリティレポートなどで積極的かつ具体的に情報開示を行います。使用する指標(例:アブセンティーイズム率、プレゼンティーイズム率、エンゲージメントスコア、健康投資額、外部認証取得状況など)を明確にし、ステークホルダーとの信頼関係構築に努めます。

まとめ

SDGs目標3「すべての人に健康と福祉を」は、ポストコロナ時代においてその重要性を一層高めています。世界の企業は、ウェルビーイングを単なるコストではなく、企業価値創造のための戦略的投資として捉え始めています。日本企業も、従来の健康経営の枠を超え、グローバルなウェルビーイング経営の潮流を取り込み、従業員、バリューチェーン、そして地域社会を含む広範なステークホルダーのウェルビーイング向上に貢献することが求められています。これは、企業の持続可能な成長を確保し、SDGs達成に貢献するための不可欠なステップであり、新たなビジネス機会創出にも繋がるでしょう。企業がウェルビーイングを経営の中核に据え、戦略的に推進していくことが、今後の競争力を左右する重要な要素となります。