レジリエントなインフラと持続可能な産業化:SDGs目標9達成に向けた世界の潮流と日本企業の戦略・課題
はじめに:SDGs目標9が示す、レジリエンスと持続可能性が鍵となる社会基盤と産業
SDGs目標9「産業と技術革新の基盤をつくろう」は、持続可能な開発に不可欠なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化、そして技術革新の促進を掲げています。現代社会においては、気候変動による自然災害の激甚化、経済のグローバル化とサプライチェーンの複雑化、技術革新の加速といった複合的な要因が、インフラと産業の両面で「レジリエンス(強靭性)」と「持続可能性」の重要性をかつてないほど高めています。
特に、企業のSDGs推進担当者にとって、目標9は単なる社会貢献の枠を超え、事業継続計画(BCP)の強化、新たなビジネス機会の創出、競争力向上に直結する重要なテーマです。本稿では、SDGs目標9達成に向けたレジリエントなインフラ構築と持続可能な産業化に関する世界の最新動向、それに対する日本の現状と企業が直面する課題、そして取るべき戦略について、専門的な視点から詳細に解説します。
SDGs目標9が目指すインフラと産業:ターゲットが示す方向性
SDGs目標9は、以下のような多様なターゲットを通じて、目指すべき方向性を示しています。
- 9.1: 包摂的かつ持続可能な産業化を支援するため、地域に根差した、経済発展と人間の福祉を支援する質の高い、信頼でき、レジリエントかつ持続可能なインフラを開発する。
- 9.2: 包摂的かつ持続可能な産業化を促進し、各国の状況に応じて雇用を増加させ、GDPに占める産業セクターの割合を高める。
- 9.4: 2030年までに、資源利用効率の向上とクリーン技術および環境に配慮した技術や産業プロセスの一層の導入拡大を通じ、インフラ及び産業を持続可能なものに変革する。
- 9.a: アフリカ諸国、後発開発途上国(LDCs)、内陸開発途上国(LLDCs)及び小島嶼開発途上国(SIDS)へのインフラ開発を支援するため、財政的、技術的及び経営的な支援を強化する。
これらのターゲットからは、単なるインフラの量的な拡大や産業の規模拡大だけでなく、「質の高さ」「信頼性」「レジリエンス」「持続可能性」「包摂性」といった側面が重視されていることが分かります。特に、インフラの「レジリエンス」は、自然災害や人為的なショックからの回復力、機能維持能力を指し、近年その重要性が飛躍的に高まっています。また、産業の「持続可能性」は、資源効率、環境負荷低減、社会的な包摂性を包含する概念であり、低炭素経済やサーキュラーエコノミーへの移行と密接に関わっています。
レジリエントなインフラ構築の国際潮流
インフラ分野における国際的な議論は、近年その「質」に重きを置く方向にシフトしています。
- 質の高いインフラ投資(QII: Quality Infrastructure Investment)原則: G20大阪サミットで承認されたQII原則は、経済性だけでなく、開放性、透明性、財政健全性、債務持続可能性、環境社会配慮といった要素を重視するものです。これは、開発途上国におけるインフラ開発が、過剰債務や環境破壊に繋がるリスクを回避し、真に持続可能な開発に貢献するための国際的な規範となりつつあります。
- 気候変動適応と災害リスク軽減(DRR: Disaster Risk Reduction): 気候変動の影響が顕在化する中で、インフラの設計・建設・運用におけるレジリエンス強化は喫緊の課題です。国連の「仙台防災枠組2015-2030」は、災害リスクの理解、ガバナンス強化、リスク削減への投資、災害対応能力向上を柱としており、インフラのレジリエンス強化はこの枠組の重要な要素です。物理的な強靭性だけでなく、早期警戒システム、スマートグリッドによる分散化、デジタル技術を用いた監視・管理なども含まれます。
- PPP(Public-Private Partnership)の進化: 公的資金だけでは賄えないインフラ投資ニーズに対し、PPPは有効な手段とされています。しかし、過去には民間側の短期的な利益追求により環境社会配慮が不十分であった事例もあり、近年はリスク分担の適正化、透明性の向上、そして長期的な持続可能性(レジリエンス、環境影響、社会影響)を重視したPPPのあり方が模索されています。
- スマートインフラとデジタルツイン: IoT、AI、ビッグデータなどのデジタル技術を活用し、インフラの稼働状況をリアルタイムで監視・分析し、効率的なメンテナンスや災害発生時の迅速な対応を可能にするスマートインフラの導入が進んでいます。都市全体のインフラを仮想空間で再現するデジタルツイン技術も、計画段階からレジリエンスを考慮した設計や、リスクシミュレーションに活用されています。
これらの国際潮流は、インフラを単なる物理的な構造物と捉えるのではなく、社会・経済・環境システムの一部として捉え、その機能が持続的に維持されるための多角的なアプローチを重視していることを示しています。
持続可能な産業化の国際潮流
産業分野においても、持続可能性と包摂性が喫緊の課題となっています。
- 低炭素・循環型産業への移行: 地球温暖化対策としての脱炭素化は、産業構造そのものの変革を迫っています。エネルギー効率の向上、再生可能エネルギーの導入、製造プロセスの見直し、そしてサーキュラーエコノミー(循環経済)への移行は、産業部門の持続可能性を担保するための主要な取り組みです。欧州連合の「グリーンディール」に代表されるように、産業政策と環境政策が統合され、新たな成長戦略として位置づけられています。
- 包摂的な産業開発: 開発途上国においては、産業化が経済成長と貧困削減の重要な推進力です。しかし、そのプロセスが既存の不平等を拡大させたり、地域社会や中小企業を取り残したりしないよう、「包摂性」が重視されています。UNIDO(国連工業開発機関)などが中心となり、中小企業の技術力向上、地域経済の活性化、若者や女性の雇用機会創出などを支援する取り組みが進められています。
- 技術革新による社会課題解決: AI、バイオテクノロジー、ナノテクノロジーなどの先端技術は、クリーンエネルギー、持続可能な農業、ヘルスケアなど、様々な分野でSDGs達成に貢献する可能性を秘めています。イノベーションを持続可能な開発の推進力とするため、研究開発投資の方向性を社会課題解決にシフトさせたり、技術の社会実装を加速させるためのエコシステム構築が世界的に進められています。
- グローバルバリューチェーンにおける持続可能性: 複雑化したグローバルサプライチェーン全体での環境負荷低減や人権尊重が求められています。製品のライフサイクルアセスメント(LCA)に基づいた環境影響評価や、サプライヤーに対する環境・社会基準の導入などが、企業の持続可能な産業活動の一環として不可欠となっています。
これらの潮流は、産業活動が経済的価値創造だけでなく、環境的・社会的価値創造を統合的に行うべきであるという認識の広がりを反映しています。
日本の現状と課題
日本は高度なインフラ技術と産業基盤を持つ一方で、SDGs目標9に関連していくつかの課題に直面しています。
- インフラの老朽化と更新ニーズ: 高度経済成長期に整備された多くのインフラが耐用年数を迎えつつあり、更新・維持管理のコストが増大しています。また、自然災害リスクが高まる中で、既存インフラのレジリエンス強化は喫緊の課題であり、計画的かつ戦略的な投資が求められています。
- 国内産業の構造的課題: 少子高齢化による国内市場の縮小、デジタル化への対応遅れ、国際競争力の維持、地方経済の衰退といった課題があります。中小企業が多くを占める国内産業において、持続可能性への対応や技術革新への投資は、資金面や人材面での障壁が大きい場合があります。
- 海外インフラ展開における課題: 日本は質の高いインフラ輸出を推進していますが、現地の環境社会配慮基準への対応や、債務持続可能性に関する国際的な懸念への適切な対応が求められています。また、価格競争力やスピード感において他国に後れを取るケースも指摘されています。
- 研究開発投資の方向性: 日本の研究開発投資は依然として高い水準にありますが、基礎研究から実用化への橋渡しや、社会課題解決に直結するイノベーションの創出といった面で、更なる強化が必要です。特に、SDGs達成に貢献する技術(グリーンテクノロジー、防災技術など)への戦略的な投資が重要となります。
一方で、日本は防災・減災に関する高い技術や知見、質の高いモノづくり、世界に冠たる技術力を有しており、これらをSDGs目標9達成に向けた強みとして活かす可能性があります。
日本企業が取るべき戦略・機会
SDGs目標9の達成に向けた世界の潮流は、日本企業にとって課題であると同時に、新たなビジネス機会でもあります。
- 国内市場でのレジリエンス強化への貢献: 老朽化インフラの維持管理・更新、耐災害性向上技術(免震・制振技術、早期警戒システムなど)の提供、分散型エネルギーシステムやスマートグリッド構築への参画は、国内での重要なビジネス機会です。PPP案件への積極的な参画も、新たな収益源となり得ます。
- 海外インフラ展開におけるQIIとSDGsの統合: 海外でのインフラプロジェクトにおいては、単に建設するだけでなく、環境社会影響評価の徹底、地域住民との対話、雇用の創出、技術移転といったSDGsの視点を統合することが求められます。QII原則に沿った質の高いプロジェクトは、信頼性の向上と競争力の源泉となります。
- 持続可能な産業への事業転換・イノベーション: 自社の製造プロセスにおける資源効率向上、排出量削減、再生可能エネルギー導入を推進するとともに、サーキュラーエコノミー型ビジネスモデル(製品の長寿命化、リサイクル、シェアリングなど)への転換を図る必要があります。AIやIoTを活用した生産性の向上、サプライチェーンの透明化・強靭化も重要です。
- 社会課題解決型技術への投資と展開: 脱炭素技術、環境修復技術、防災技術、スマートシティ関連技術など、SDGs達成に貢献する技術開発への投資を強化し、国内外市場への展開を図ることが求められます。大学や研究機関、スタートアップとの連携を通じたオープンイノベーションも有効です。
- グローバルバリューチェーンにおける責任: サプライヤーに対する環境・労働基準の導入・遵守徹底は、事業継続リスクの低減とブランドイメージ向上に不可欠です。デューデリジェンスの強化は、持続可能な産業化をバリューチェーン全体で推進することに繋がります。
これらの戦略を実行する上で、企業は自社のコアコンピタンスをSDGs目標9と結びつけ、技術力、ノウハウ、資金力を活用して社会課題解決に貢献する事業を設計することが重要です。また、政府、自治体、国際機関、そして市民社会との連携を強化することで、単独では解決困難な課題にも取り組むことが可能になります。
結論:持続可能な社会基盤と経済成長の両立に向けて
SDGs目標9は、持続可能な開発の根幹をなすインフラと産業のあり方を問い直しています。世界の潮流は、これらの基盤が「レジリエント」かつ「持続可能」であることの必要性を明確に示しており、質を重視したインフラ投資、環境・社会との調和、包摂的な産業開発、技術革新の活用がその鍵となります。
日本はインフラの老朽化や産業構造の課題に直面していますが、同時に培ってきた高い技術力と知見を活かし、これらの課題を解決し、新たなビジネス機会を創出するポテンシャルを有しています。企業のSDGs推進担当者は、目標9を自社の事業戦略に深く統合し、国内外での事業活動を通じて、レジリエントで持続可能な社会基盤と産業の構築に積極的に貢献していくことが求められています。これは、短期的な利益だけでなく、長期的な企業価値の向上と持続可能な社会の実現に不可欠な取り組みと言えるでしょう。