ディープSDGs:世界の潮流と日本の現実

SDGsと人権:ビジネスと人権に関する国連指導原則、世界の潮流と日本企業の課題・戦略

Tags: SDGs, 人権, ビジネスと人権, デューデリジェンス, サプライチェーン

はじめに:高まる「ビジネスと人権」への関心とSDGs

近年、「ビジネスと人権」への関心は国際的に急速に高まっています。これは、企業活動がグローバルに拡大するにつれて、サプライチェーンの労働慣行、地域社会への影響、製品・サービスの提供における人権侵害リスクなど、企業が関与する人権課題の範囲が広がっていることを背景としています。

持続可能な開発目標(SDGs)においても、人権は目標達成のための基盤として位置づけられています。特に目標8(働きがいも経済成長も)、目標10(人や国の不平等をなくそう)、目標16(平和と公正をすべての人に)などは、企業の事業活動における人権尊重と密接に関連しています。SDGs推進担当者にとって、「ビジネスと人権」に関する国際的な潮流を理解し、自社の事業活動にどう組み込むかは、喫緊の課題となっています。

本稿では、「ビジネスと人権」の取り組みの国際的な規範である「ビジネスと人権に関する指導原則」(United Nations Guiding Principles on Business and Human Rights: UNGPs)に焦点を当て、世界の潮流、日本企業の現状と課題、そして企業が取るべき具体的なアプローチについて専門的な視点から解説します。

ビジネスと人権に関する国連指導原則(UNGPs)とは

2011年に国連人権理事会で承認されたUNGPsは、ビジネスと人権に関する初のグローバルな基準です。UNGPsは、以下の「保護、尊重、救済」という3本柱で構成されており、企業の人権尊重責任を明確に示しています。

  1. 国家の保護義務(The State Duty to Protect): 国家は、第三者(企業を含む)による人権侵害から個人を保護する義務を負います。これには、法制度の整備や執行が含まれます。
  2. 企業の尊重責任(The Corporate Responsibility to Respect): 企業は、いかなる場所においても、人権を尊重する責任を負います。これは法的義務とは異なる「社会的・倫理的期待」として位置づけられ、企業が人権侵害を引き起こさないこと、または人権侵害に加担しないことを意味します。
  3. 救済へのアクセス(Access to Remedy): 人権侵害の被害者が、司法・非司法的なメカニズムを通じて実効的な救済を得られるように、国家および企業がそれぞれの役割を果たす必要があります。

特に、企業の尊重責任において中心となるのが、「人権デューデリジェンス(Human Rights Due Diligence: HRDD)」の実施です。

世界の潮流:強化される人権尊重要求と規制動向

UNGPs採択以降、「ビジネスと人権」に関する国際的な潮流は加速しています。企業に対する人権尊重の期待は高まり、多くの国・地域で法規制や政策が整備されています。

これらの潮流は、単にコンプライアンス上のリスクを高めるだけでなく、企業価値や競争力に直接影響を与える要因となっています。

日本の現状と課題:取り組みの進展と乗り越えるべき壁

日本においても、「ビジネスと人権」への取り組みは進展しています。2020年10月には、日本政府として初めての「『ビジネスと人権』に関する行動計画(2020-2025)」が策定されました。これに基づき、2022年9月には「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が公表され、日本企業が人権デューデリジェンスを実施するための実践的な手引きが示されています。

しかし、多くの日本企業、特に中小企業においては、取り組みが十分に進んでいない現状があります。主な課題として、以下の点が挙げられます。

これらの課題を克服し、実効性のある人権尊重の取り組みを進めることが、日本企業に求められています。

企業が取るべき具体的なアプローチ

企業がUNGPsに基づき人権尊重責任を果たすためには、体系的なアプローチが必要です。以下に、企業のSDGs推進担当者が主導または関与すべき具体的なステップを示します。

  1. 人権方針の策定・浸透: 国際的な規範(UNGPs、国際人権章典、ILOの労働における基本的原則及び権利に関する宣言など)に則った、自社の人権尊重のコミットメントを明確に示す方針を策定します。経営層の承認を得て、社内外に広く周知し、従業員への研修などを通じて組織全体に浸透させます。
  2. 人権リスクと影響の特定・評価: 自社の事業活動(自社施設、サプライチェーン、顧客・製品、M&A、事業撤退など)において、潜在的・実際の人権侵害リスクや負の影響(人権侵害やそのリスクを高める行為)を特定し、その深刻度や発生可能性を評価します。外部の専門家やステークホルダーとの対話も有効です。
  3. 防止・軽減策の実施と効果の追跡: 特定されたリスクに対して、その発生を防止または発生した場合の影響を軽減するための具体的な対策(サプライヤーへの監査、契約条項の見直し、研修、コミュニティ投資など)を講じます。実施した対策の効果を継続的に追跡し、必要に応じて見直しを行います。
  4. 苦情処理メカニズムの構築・運用: 事業活動による人権侵害の被害者が、匿名での通報も可能なアクセスしやすい苦情処理メカニズムを構築・運用します。外部のメカニズム(例:NGOの提供する窓口)も活用できます。
  5. 情報開示とステークホルダーとの対話: 人権尊重への取り組み状況、特定されたリスク、防止・軽減策、苦情処理メカニズムの運用状況などについて、サステナビリティ報告書などを通じて透明性をもって開示します。ステークホルダーとの建設的な対話を通じて、フィードバックを得て取り組みを改善します。

これらのステップは継続的なプロセスであり、一度行えば完了するものではありません。常に変化する事業環境や人権課題に合わせて見直しを行う必要があります。

展望:人権尊重がもたらす機会

「ビジネスと人権」への対応は、単にリスクを回避するためのコストや負担と捉えられがちですが、適切に取り組むことで、企業に新たな機会をもたらす可能性も秘めています。

国際的な規制強化やステークホルダーからの期待が高まる中で、人権尊重への取り組みは、持続可能な企業経営に不可欠な要素となっています。日本企業は、世界の潮流を捉え、UNGPsに基づいた実効性のある人権デューデリジェンスを着実に進めることが求められています。これは、SDGs達成への貢献であると同時に、グローバル市場での競争力を維持・強化するための戦略的な投資と言えるでしょう。

まとめ

「ビジネスと人権」に関する国際的な潮流は、企業の責任範囲をサプライチェーン全体に広げ、法規制や投資家からの要求を伴って進行しています。中心的な規範である国連ビジネスと人権に関する指導原則は、企業が人権尊重責任を果たすための具体的な枠組み(人権デューデリジェンス)を提供しています。日本においても政府の行動計画やガイドラインが整備されていますが、多くの企業にとって取り組みは道半ばです。人権尊重への実効的な取り組みは、リスク管理だけでなく、企業価値向上や新たなビジネス機会創出にもつながります。企業のSDGs推進担当者は、この重要なテーマを経営戦略に位置づけ、体系的なデューデリジェンスを着実に実行していくことが求められています。