SDGsインパクト測定・評価の国際潮流:企業の貢献度「見える化」と日本企業の課題・戦略
はじめに:なぜ今、SDGsの「インパクト測定」が重要なのか
企業によるSDGsへの取り組みは、単なる社会貢献活動の枠を超え、持続的な企業価値創造の重要な要素として認識されるようになりました。しかし、多くの企業が直面するのは、「自社の活動がSDGs達成にどの程度貢献しているのか」「その貢献度をどのように評価し、外部に説明すれば良いのか」という課題です。単に活動の内容や投入したリソース(インプット)、活動量(アウトプット)を報告するだけでは、実際に社会や環境にどのような変化(アウトカム、インパクト)をもたらしたのかが不明瞭なままです。
こうした背景から、近年、企業活動や投資がSDGs達成にもたらす「インパクト」を体系的に測定・評価し、「見える化」しようとする動きが世界的に加速しています。これは、企業の説明責任(アカウンタビリティ)を果たすだけでなく、経営資源の最適な配分、新たなビジネス機会の発見、そしてステークホルダーとの対話促進にも不可欠なプロセスとなりつつあります。
本稿では、SDGsインパクト測定・評価に関する世界の最新潮流を俯瞰し、それに対して日本企業が現在どのような状況にあり、どのような課題に直面しているのかを専門的な視点から分析します。さらに、企業のSDGs担当者がインパクト測定・評価を推進するために取るべき実践的なアプローチについても考察します。
世界の潮流:インパクト測定・評価の標準化と要求の高まり
SDGsインパクト測定・評価に関する国際的な議論は、近年飛躍的に進展しています。特に以下の点が注目されています。
1. 投資家・金融機関からの要求の高まり
環境・社会・ガバナンス(ESG)投資が主流化する中で、投資家は企業の財務情報だけでなく、非財務情報、特に企業活動が社会や環境に与えるポジティブ・ネガティブ両面の影響(インパクト)に関心を持つようになりました。投資判断において、企業のSDGsへの貢献度や、サステナビリティ関連の機会・リスクが財務パフォーマンスにどう影響するかを評価するために、信頼性の高いインパクト情報が求められています。インパクト投資市場の拡大も、この流れを後押ししています。
2. 主要なフレームワークと基準の発展
インパクト測定・評価の手法やフレームワークの標準化に向けた取り組みが進んでいます。代表的なものとしては、以下が挙げられます。
- Impact Management Project (IMP): 様々なインパクト測定手法やフレームワークを結びつけるための共通の考え方や原則を提供し、インパクトマネジメントの実践を推進しています。「誰に対して(Who)、どのようなインパクト(What)を、どれくらい(How much)、どのような貢献(Contribution)で、どのようなリスク(Risk)を伴うか」という5つの次元(5 Dimensions of Impact)でインパクトを捉えることを提唱しています。
- IRIS+: IMPの考え方を基盤とした、具体的なインパクト指標のライブラリです。様々なセクターや目標に関連する指標が整備されており、企業や投資家が自社の活動や投資のインパクトを測定する際に参考にできます。
- Social Return on Investment (SROI): 社会的・環境的インパクトを金銭的価値に換算して評価する手法です。ステークホルダーの視点を取り入れ、投資に対してどの程度の社会的リターンが得られたかを算出します。
- サステナビリティ開示基準との連携: GRI(Global Reporting Initiative)やSASB(Sustainability Accounting Standards Board)、そして現在IFRS財団の下で開発が進むISSB(International Sustainability Standards Board)の基準も、企業の活動が社会・環境に与える影響(アウトカムやインパクトを含む)に関する情報開示を重視しています。特にISSBは財務報告との関連性を強く意識しており、インパクト情報が企業の財務パフォーマンスやリスク評価にいかに結びつくかを明確にする方向で議論が進んでいます。
- TNFD (Taskforce on Nature-related Financial Disclosures): 自然資本に関わるリスクと機会に関する情報開示フレームワークであり、企業活動が自然環境に与えるインパクトの評価もその一部を構成します。
これらのフレームワークや基準は相互に関連しながら進化しており、企業は自社の事業特性や戦略に合わせて適切なものを選択・組み合わせて活用することが求められています。
3. 企業による先進的な取り組み事例
欧米を中心に、自社の製品・サービス、サプライチェーン、投資などが生み出すポジティブ・ネガティブインパクトを定量的に把握・評価し、経営戦略や意思決定に活用する先進的な企業が増えています。製品のライフサイクルアセスメント(LCA)による環境負荷の評価、サプライチェーンにおける労働者の人権インパクト評価、社会課題解決型事業が生み出す経済的・社会的価値の評価などが事例として挙げられます。これらの情報は、統合報告書やサステナビリティレポート、ウェブサイトなどを通じて外部に開示されるようになっています。
日本の現状と課題:アウトプットからインパクトへの移行
日本の多くの企業もSDGsへの関心は高く、様々な取り組みを進めています。しかし、インパクト測定・評価については、国際的な潮流と比較すると、まだ発展途上の段階にあると言えます。
1. 「活動報告」や「アウトプット測定」に留まる傾向
これまでの企業の報告は、「〇〇の削減目標を設定した」「△△の認証を取得した」「従業員向けに研修を実施した」といった活動内容や、「CO2を〇トン削減した」「リサイクル率が△%になった」といった直接的な成果物(アウトプット)の報告に留まるケースが多く見られます。これらの情報も重要ですが、その活動やアウトプットが実際にどのような社会・環境課題の解決につながり、人々の生活や生態系にどのような良い変化をもたらしたのか(アウトカムやインパクト)までを、体系的に測定・評価・報告している企業はまだ少数派です。
2. 専門知識や人材の不足
インパクト測定・評価には、社会学、環境科学、経済学、統計学など、多様な分野の専門知識が必要です。また、データ収集・分析のスキル、ステークホルダーとのエンゲージメント能力も求められます。企業内でこうした専門知識やスキルを持つ人材が不足していることが、取り組みを阻む要因の一つとなっています。
3. 手法や指標の標準化の課題
世界的に様々な手法やフレームワークが存在する一方で、日本国内において共通で広く認知された標準的な手法や指標が確立されていないことも、企業が取り組みを進める上でのハードルとなっています。どのフレームワークを選択すべきか、どのような指標を設定すべきか判断に迷う企業も少なくありません。
4. データ収集・分析体制の構築
インパクトを測定するためには、関連する社会・環境データを継続的に収集し、分析する体制が必要です。サプライチェーン全体にわたるデータの収集は特に困難であり、多くの企業が課題として認識しています。
5. 社内理解の醸成と推進体制
経営層や部門間のインパクト測定・評価に対する理解が十分でない場合、取り組みが一部の担当部署に限定され、全社的な戦略や意思決定に結びつかない可能性があります。組織全体でインパクト志向の文化を醸成し、推進体制を構築することが不可欠です。
日本企業が取るべきアプローチと今後の展望
このような課題を踏まえ、日本企業はSDGsインパクト測定・評価にどのように取り組むべきでしょうか。
1. インパクト測定の目的と範囲の明確化
まず、なぜインパクト測定を行うのか、その目的を明確にすることが重要です。経営戦略への組み込み、投資家への説明、製品・サービス開発への活用、ステークホルダーとの対話促進など、目的に応じて測定の範囲や深さ、使用するフレームワークが変わってきます。自社の事業特性や戦略との関連性を考慮し、測定の対象となる社会・環境課題、関連するSDGs目標、評価するステークホルダーグループなどを具体的に定義します。
2. 関連フレームワーク・指標の学習と活用
IMPやIRIS+といった国際的なフレームワークの考え方や、業種別の関連指標などを参考に、自社にとって適切な指標を選定します。最初から網羅的に行うのではなく、自社の主要な事業活動や特に大きなインパクトを与えていると思われる領域から着手するなど、スモールスタートで段階的に範囲を広げていくことも有効です。
3. データ収集・分析体制の強化
必要なデータの種類を特定し、その収集方法(社内システム、アンケート、第三者データなど)を検討します。サプライチェーンにおけるインパクトを評価する場合は、サプライヤーとの連携が不可欠です。データ収集ツールの導入や、既存システムの改修なども視野に入れる必要があります。収集したデータを分析し、そこから示唆を得るためのスキルを持つ人材育成や、外部専門家・コンサルタントの活用も検討すべきです。
4. 測定結果の活用とコミュニケーション
測定・評価したインパクト情報は、単に報告するだけでなく、経営戦略や事業戦略、製品開発、リスク管理などの意思決定に活用することが最も重要です。ポジティブインパクトの最大化、ネガティブインパクトの最小化に向けた具体的な改善策を策定し、実行に移します。また、ステークホルダーに対して、分かりやすく透明性の高い形でインパクト情報を開示し、建設的な対話を通じて取り組みをさらに改善していく循環を作ることが理想です。統合報告書など、企業の主要なコミュニケーションツールの中で、財務情報と非財務情報(インパクト情報を含む)を統合的に報告する取り組みも有効です。
5. 社内体制の構築と文化醸成
インパクト測定・評価を一部の担当者のタスクに留めず、経営層の理解とコミットメントを得て、全社的な取り組みとして位置づけることが不可欠です。関連部署(経営企画、IR、広報、各事業部、人事、調達など)が連携し、役割分担を明確にします。また、従業員一人ひとりが自らの業務が社会・環境にどのような影響を与えているかを意識し、ポジティブなインパクト創出に貢献しようとする意識(インパクト志向)を醸成するための研修や啓発活動も重要です。
結論:持続的な企業価値創造のための不可欠なツールへ
SDGsインパクト測定・評価は、企業が自らの社会的存在意義を問い直し、持続的な成長を実現していく上で不可欠なツールとなりつつあります。世界の潮流は、より厳格で標準化されたインパクト測定・評価、そしてその情報開示へと向かっています。日本企業がこの流れに乗り遅れることなく、自社のSDGsへの貢献度を科学的・論理的に「見える化」し、それを経営戦略や意思決定に活用していくことは、国際的な競争力の強化、投資家からの信頼獲得、そして社会からの期待に応える上で極めて重要です。
インパクト測定・評価の道のりは決して容易ではありませんが、先行事例や国際的なフレームワークを参考にしつつ、自社の状況に合わせた着実な一歩を踏み出すことが求められています。企業のSDGs推進担当者は、この分野の最新動向を注視し、社内外のステークホルダーと連携しながら、インパクト測定・評価の実践と活用を積極的に推進していくべきです。